『江副浩正』(13)

 

本書をまとめて、江副の生き方を深く理解できたと思います。

最後に江副が遺した功績の1つは情報誌を作り出したことそのものという内容がかいてありました。


なぜ江副の作り出した情報誌は、高い支持を集めたのでしょうか。

情報誌がなかった時代、縁故採用や推薦制度というとても、閉鎖的な就活制度でした。そのうえ、各社の情報は公開されていなかったので、学生側が企業を知ることは大変難しかったと思います。企業にとっても自社のことをアピールする場はなく、学生にとっても極めて不自由な状況で企業を選ばなくてはなりませんでした。そういった社会全体の就職環境を『企業への招待』が変えたのです。
企業側も広範な学生に情報提供ができ、学生側もより詳しい企業情報と就職情報から企業を比較し自分にあった企業を選べるようになりました。
お互いのニーズにあっているということが、この情報誌が実に画期的であり、社会全体を変革させたものといっても過言でないと思います。
さらにこれは、リクルートにとっても高い利益をもたらし経営の望ましい成長サイクルを確立したので、経営として完成しているモデルだと思いました。

 

この情報誌を作り出したことで、江副が社会にもたらした功績はとても大きいです。新しい情報産業というビジネスモデルを確立し、成功させました。

 

 

『自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ』

これは江副の信条であり、かつてのリクルートの社訓です。まさにリクルートでの江副の姿はこの一文に集約されていると思いました。このフレーズに象徴されるように、江副がリクルートの創業時に確立した思想と経営の仕組みは今も経営をするものにとって業界を越えて経営の命題であり続けると思いました。

『江副浩正』(12)

6章はドラッガーについてかかれていました。
ここまで特に師とするものもなく独自の考えで事業を展開してきた江副がピータードラッカー著の『創造する経営者』という本と出会い感銘を受けたことが述べられています。

 

なかでもドラッカーの『経営とは社会変革である』 『経営とは顧客の創業である』『経営とは実践である』という点において江副は強く惹かれました。なぜなら自分がリクルートで行ってきたことが認めれた気がしたからです。

 

ここまで本書を読んで江副の経営を振り返ってまさに、この3つは江副が行ってきたものだと私も思いました。

江副はリクルートを創業して学生たちにとってどこの企業の門戸でも叩ける機会をつくり、産業界にとって必要な学生を多数の中から選べる機会を開きました。これは両者にとってとても合理的であり、採用、就職の仕組み自体を改革したと思います。

 

さらに広告事業では一見、顧客は広告主だけに見えます。テスト事業でも顧客は人事部に見えます。しかし、江副は常に真の顧客は学生であると思い続けていました。学生のための紙面であり、学生のための適性を診断するためのテストです。学生という、今まで就職活動で受け身であった存在を顧客の対象と変えていったことで、顧客を創造したと思います。

 

そして、自分の大学時代の活動がきっかけで企業にまで至り、自分の考えを色々と具現化し、新しいことをどんどん恐れずやっていった姿勢はまさに実践から経営をしていると思います。

 


江副は自分の経営理念にかなったドラッカーを経営の師として、実際の経営理念にさらにとりいれていき、積極的に実践していきました。さらに経営面でドラッガーの教えをもとに 社会への貢献、商業的合理性の追求、個人の尊重をリクルートのモットーにしました。こういったリクルートの経営理念の裏側にはドラッカーの存在が隠されていたと判明しました。

『江副浩正』(11)

引き続き第5章です。

リクルートは採用広告、採用情報誌の事業についで、テスト事業が誕生したところです。

この頃のリクルートはテスト事業だけで五千万円の売り上げという記事が出されるくらい注目の的となっていました。

 

しかし、このテスト事業が成功している裏でリクルートは苦しんでいました。

就活の解禁日と同時に各社が面接をして、テスト実施に動き出すため、全ての業務が短期間に集中してしまったのです。人気になったので、採点の人が足りなくなっていたのです。

 

私はこのときてっきり、コンピューターで採点したりデータ管理をしていると今の感覚で思ってしまっていましたが、まだコンピュータなど普及していない時期です。

つまりリクルートは今までの掲載企業の沿革、概要、地図など毎年手書きでかき、手書きのものを保管していました。

手書きで毎年そのようなことをしたら効率が悪いため、江副はこのコンピューターを使って採点したり、原稿作成をしたり、情報を管理したりしたいと考え始めました。

 

コンピューターがこの普及していないなかでこういったことを考え、導入する決断はすごいなと感心しました。やはり新しいことをしていきたいという江副の行動力がここにも出ています。

 

そしてその後リクルートのコンピューター化は加速していき、スピードと制作効率が具現化したそうです。

 

 

 

『江副浩正』(10)

今週も第5章を読んでいます。リクルートがテスト事業を拡大した際にこんなエピソードがあり、面白かったので紹介します。

 

江副が改良を重ねたテストを江副自身が受けてみた結果が乗っていました。

 

『あまり従来の常識にとらわれない独自のものの見方をし、周囲からは独立的で、やや変わった印象を与えるところがある。比較的冷静、客観的で、感情に溺れるようなことは少ない。外界に対しては柔軟な態度を示し、いろいろなことに興味を持つが、実際には周囲に関係なく左右されずに適応していく。現実性よりは可能性を重視した独特なものの見方をするが、それを人に説明することは得意ではない。若干うちとけにくく、他からは理解されにくいところがある。こまごました枠にはまったことは苦手である。』(本文引用)

 

これには開発員からも拍手があがったといいます。私もこの本を通して見えてきていた江副像にかなり当てはまっていると思いました。

(江副自身はまだ改良しなければ、、と思ったそうですが、、、)


起業家として名高く、採用広告、採用情報誌だけにとどまらず、テスト事業、そして人事教育事業とつながり、常に新しい革新的なことを模索している江副の性格を知ることは、起業を考えている人たちにもヒントがあると思います。
こういった江副の性格をみても改めて、起業家になるべくしてなったのだと感心させられないでしょうか。

『江副浩正』(10)

今週も第5章を読んでいます。リクルートがテスト事業を拡大した際にこんなエピソードがあり、面白かったので紹介します。

 

江副が改良を重ねたテストを江副自身が受けてみた結果が乗っていました。

 

『あまり従来の常識にとらわれない独自のものの見方をし、周囲からは独立的で、やや変わった印象を与えるところがある。比較的冷静、客観的で、感情に溺れるようなことは少ない。外界に対しては柔軟な態度を示し、いろいろなことに興味を持つが、実際には周囲に関係なく左右されずに適応していく。現実性よりは可能性を重視した独特なものの見方をするが、それを人に説明することは得意ではない。若干うちとけにくく、他からは理解されにくいところがある。こまごました枠にはまったことは苦手である。』(本文引用)

 

これには開発員からも拍手があがったといいます。私もこの本を通して見えてきていた江副像にかなり当てはまっていると思いました。

(江副自身はまだ改良しなければ、、と思ったそうですが、、、)


起業家として名高く、採用広告、採用情報誌だけにとどまらず、テスト事業、そして人事教育事業とつながり、常に新しい革新的なことを模索している江副の性格を知ることは、起業を考えている人たちにもヒントがあると思います。
こういった江副の性格をみても改めて、起業家になるべくしてなったのだと感心させられないでしょうか。

『江副浩正』(9)

第5章を読んでいきます。

試行錯誤を繰り返しようやく発行された「企業への招待」は、2年目にしてすでに大企業が名を揃え、就職希望の学生にとっては欠かせない本となりました。

そして新たな提案が企業からありました。学生の適性テストを作って欲しいというものです。

当時、学生の適性検査として行われていたのは、 1桁の足し算を15分間ずつ二回に分けて行い、1分ごとの計算作業量の変化パターンから人の性格や適切をつくるという『内田クレペリン精神検査』というものでした。
企業側もこのテストがほんとうにいいのか、と疑問をもちながらもずっと続けられてきた検査でした。実際に、このようなテストで適性がはかれるとは全く思えません。

東大で教育心理学を学んだ江副にとっても、これで適性が見抜けるとはずっと思えなかったそうです。
そこで、新たな人材活用のための適性テストを作る動きが始まりました。
しかし、じつは江副は自分の企業の求人を採用するとき、よりよい人材を採用しようと採用テストを独自で作り上げていたのです。
そのテストを使って優秀な人材だと思ってもいざ仕事をやらせて見れば契約を一つもとれない学生もいて、そのたびにテストは改良されて完成度の高い人物評価の材料を彼はすでに持っていました。

企業に、自分自身で準備を重ねてきた独自の適性テストを差し出すと、単純なクレペリン検査で慣れてきた人事担当に驚かれました。
短時間で深い人物評価が可能なそのテストは、クレペリンが3円のところ350円の価値をつけ、その点でも企業側を驚かせることになりました。

自分が優秀な人材が欲しいと貪欲に研究を重ねていった結果、素晴らしいテストが完成し、
いつも画期的なことを思いつくという点で江副の偉大さがわかりました。

『江副浩正』(8)

引き続き第4章です。

江副は大学広告の収入不足に困っていました。
そんなとき出会ったのが株です。

景気がよく事業を、拡大しようとしてる企業は前年度から大量の新卒者をとるため、採用情報をもとに投資の読みが簡単にあたりました。といっても、最初は大学広告のアルバイトにお給料をあげられるくらいの儲けだけを考えていました。しかし、株のこつを掴み、さらに資金も多くなったとき江副の株はギャンブルレベルまでエスカレートしていきました。江副はこのとき体験した株の魅力に死ぬ直前まで取り憑かれました。


それに加えて、江副は注文と同時の半金前金制を採用することを思いつきました。 半金を入金していないために刷れないと大声で企業に乗り込み、企業を圧倒し次々に企業は半金を入金してくれました。
そしてこの半金前入金制は将来のリクルートの経営の基盤となっていきました。


そして、ついに「企業への招待」が刷り上がりました。学生にとっては非常に画期的な本であり、学生からの反響は大きかったそうです。
巻末にアンケートはがきを差し込んだところ、感謝の気持ちだけでなく、こういう項目が欲しいなどの意見もたくさん届き、それらは次年度の編集に生かされました。こういう対応の、良さも企業が大きくなった理由だと思います。

そうして大反響の初年度のおかげで、翌年からは企業への営業もずいぶん楽になりました。


江副が当初、三年しかもたないかもしれないと思っていたこの事業は、2年目にして安定していきました。
さらには、無料で配布した「企業への招待」が古本屋の店頭で200円の値がつけられていました。
『自分の開発した本がお金を払ってでも手に入れたい情報であるのだと思った時に、江副自身がその価値をようやく悟った』

世界初の就職情報雑誌となった「企業への招待」の価値に本人が気づくタイミングが意外でした。