『江副浩正』(6)

今週は第4章をよんでいます。

 

ついに、大学新聞広告社として企業の求人情報広告の営業生活が始まりました。
東大新聞だけの扱いだった事業は、企業からの熱い要望により全国の大学新聞に声をかけ、他の大学の広告掲載料金表の作成をしました。東大、旧帝大、次いで地方国公立の順につくっていき 全国国立大学全紙が出稿されました。

 

全国の大学にまで事業を広げたことで、東大生のアルバイトを沢山ふやしたそうです。


しかし日中は営業、夜は入稿原稿の作成で、つぎつぎと受注が増えているために、消化していくのが困難なほど忙しい日々を送っていたそうで、ついにアルバイトだけでは回らなくなり、女性社員を事務員として雇用しようと朝日新聞に広告を出しました。

 

 

女性の求人が少ない時代に、悪くない給与で求人をかけたものの、集まったのはなんと2人だけでした。ぼろい掘建小屋に踏み入れるのは大変勇気がないと出来ない行動に違いありません。そして、江副氏は極めて優秀な友野喜久子を採用しました。

 

 

そして、江副氏はこの女性を同じ賃金で雇ったことで将来的にとても注目されることになります。
江副氏は、(男女の能力や賃金に対して、)
『代表者だから事務員だから、そして女性だからといって差をつける意識は初めからなかった』と語っています。

 

リクルートが大きくなったとき世間の注目を集めることになったのがこの男女同一賃金だったのですが、実はリクルートになるもっともっと前の小さな個人経営の広告社第1号採用者から、この男女同一賃金という方針でやってきたのでした。江副氏はそんなことで特別視されるのが不思議だったそうですが、当時の固定観念に囚われずに自分の意志を通していた姿はかっこいいなと思いました。